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カナディアン・クラブ・ウイスキー

著者 Shigeru Nakamura

カナディアン・ウイスキーのパイオニア、ハイラム・ウォーカー氏は1816年7月4日、アメリカ・マサチューセッツ州のイースト・ダグラスで生まれました。1830年代はデトロイトで蒸留したサイダー・ビネガを扱うビジネスを営みながら、ウイスキーを蒸留する方法を勉強しました。1850年初期にミシガン州は禁酒運動が盛んになったことから、1856年、デトロイトの対岸カナダの都市、現在のウインザー市の東側に移り住み、蒸留所を建設。樽に入ったウイスキーを生産しました。

その頃は酒の密造が横行した時期でしたが、ハイラム・ウォーカー氏は法律に基づいて質の高いウイスキーを製造しました。その味が大変良く数も限られていたことから、彼が作るウイスキーはアメリカ国内への密輸の需要が最も高かったと言われています。1882年には正式にアメリカへの輸出を開始し、アメリカ産ウイスキーとの差別化を図る為、1890年、そのウイスキーをカナディアン・クラブ、略称「CC」と命名しました。

カナダにおいて禁酒法が制定されたのは1911年から1915年の4年間。一方、アメリカでは1920年から1933年の長期に渡り禁酒法が実施され、ごく限られた人にしか酒が渡らなかったため、蒸留所のあるデトロイト川の土手では夜になると、頻繁に発砲事件が起こっていました。酒をめぐる争いを避けるため、何千ガロンものカナディアン・クラブは、川の中に設置されたリッカー・パイプラインを通って合法的にカナダ・ウォーカービル(現在のウインザー)からアメリカ・デトロイトに運ばれました。ハイラム・ウィーカー社のスタッフの話によると、イタリア人のアル・カポネ氏も商談でカナダに幾度となく足を運び、大切な顧客の一人だったとか。

ハイラム・ウォーカー氏は1800年代後半、蒸留所の他に多くのビジネスを経営していました。水や火などの供給システム導入にかかわるなど街造りに貢献しました。その地域に住む人々の殆どが彼の工場の従業員であったため、その街はウォーカービルと名付けられ、1890年に町として認定されました。1935年にはオンタリオ州ウインザー市の一部になっています。

カナディアン・クラブ・ブランドセンターはその当時の10万ドルと2年の歳月をかけ建設され、1894年9月、正式オープンしました。16世紀イタリア・ルネッサンスの建築様式を用いたため、各部屋にはヨーロッパのデザインが施され、地下にはアル・カポネが打ち合わせをした部屋もあります。

1920年から始まったアメリカの禁酒法によりビジネスは大打撃を受け、1926年、会社は孫によりクリフォード・ハッチ社に売却されました。その後、数回オーナーが代わり、2005年以降はビーン・グローバル社に経営が移りました。

さて、CCウイスキーの特徴ですが、ライ麦とライ麦麦芽、麦芽とトウモロコシを原料とし、6年以上ホワイト・オーク樽で熟成させます。雑味の少ない軽い仕上りで変わらぬ人気を保っている「カナディアン・クラブ・クラシック12年」と「カナディアン・クラブ6年」。カナダでは入手できない「カナディアン・クラブ・ブラックラベル」は日本でのみ販売されています。更に大変高価な「カナディアン・クラブ・ブルーラベル」も数年前に市場に登場しました。

「今日いられるのは若い頃からペニー(1セント)を大切にした時代があったからこそである」はウォーカー氏が74歳の誕生日に残した言葉です。アメリカ人としてカナダに居住し、偉業を成し遂げたウォーカー氏によって生み出されたカナディアン・クラブ・ウイスキーの数々。その本拠地オンタリオ州ウインザーを訪れたら、カナディアン・クラブ・ブランドセンターに立ち寄ってみてください。変わらぬ人気を保っているカナディアン・クラブ・ウイスキーのそれぞれの味を地元でご賞味ください。

カナディアン・クラブ・ブランドセンター
http://www.canadianclubwhisky.com/

ウインザーエセックス・カウンティー観光局
http://www.visitwindsoressex.com/

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